

混じり物のない「銀シャリ」が食べたいと友に連れられてきたのは赤線が消える数日前だった
数日後に消える赤線を観ておきたいと出掛けたが同い年位の少女を目の当たりにして逃げ出した
米屋で働いている友がここ「のんべい横丁」....当時は通称 しょうべん横丁 と云ってた気がする
...で銀シャリのカレーを食べたのだがどんな味だったか記憶にない 寂しげな少女像しか記憶にない
今ではコメ余りと騒がしいが当時は100%水稲米は珍しく麦や外米混じりが当たり前で見た目が銀
シャリでも おかぼ...陸稲...が混ざっていてボソボソしてた...最近 過去の事が良く思い出される
先が短いのかな...ここ「のんべい横丁」は外人さんも多く元気だ数年前に建て替えの測量をやってたが
この調子だと当分は残りそうだ 少なくともオリンピック迄は大丈夫だろう。